
ロス経由で29日の早朝エル・サルバドルの首都サン・サルバドルに着きました。入国管理官も税関も人懐っこく、サルバドル弁で話し始めると故郷に帰ったな~と安堵感につつまれます。
エル・サルバドルは、中米で一番小さな国で唯一太平洋岸にしか国土を持っていません。資源に乏しくマヤ文明の田舎だから、グアテマラのように遺跡などの観光の目玉も無い国ですが、最大の魅力はサルバドル人です。明るくて親切で働き者。働き者の評価には、『中米の中では』と入れないといけませんが、今まで訪れたコーヒー生産国の中でも上位に入ります。コーヒーの仕上がりを見れば、それにあらわれています。
4月に明石書店から「エルサルバドルを知るための55章」が発行されました。
政策研究大学院大学の細野昭雄教授と中部大学国際関係学部教授の田中高氏が監修した、エル・サルバドルの情報満載の書籍です。過去にエル・サルバドルに関わった複数の執筆陣が、それぞれの専門分野からエル・サルバドルを語っています。
この本を監修された細野教授は、2003年から駐エル・サルバドル大使として同国に赴任されていました。その当時、一度大使館を訪問しお目に掛ったことがあります。また田中教授とは、やはりエル・サルバドル繋がりで知り合い、その後親しくさせていただいています。お二人からこの本への執筆依頼を受け、22、50,51章を担当させてもらいました。
アメリカやヨーロッパの国々の情報は溢れていますが、中米の小国エル・サルバドルに住んで経験のある日本人は僅かですし、もちろん書籍も非常に限られています。
その点でもそれぞれの実体験を元に書かれたこの本は、興味深い一冊です。
先月グアテマラに行きました。1975年に初めてグアテマラを訪れてから、もう数えきれないほど訪問しましたが、そのたびに新たな発見と出会いがあります。
その中でいつも変わらずに僕を迎えてくれたのは、オーロラ国際空港でした。1970年代タラップを上って搭乗するのが当たり前だった中米で、当時珍しかったブリッジが備わっているとてもモダンな空港でした。
10時間も寝たので、素晴らしい目覚めでした。標高1,500mにあるこの山荘は、朝方は結構冷え込みます。しかしこの気持ちの良い朝に散歩しない手はありません。コーヒー園の真ん中にある山荘を出て、フエゴ火山とアカテナンゴ火山を見上げながら、コーヒー園を歩きまわりました。
エストゥワルドと朝食を食べてから、サン・セバスティアン農園内の学校に行きました。サルバドール・イ・ロサリオ・デ・ファジャ学校と名付けられたこの学校の設立は1943年で、エストゥワルドのお祖父さんとお祖母さんが、農園で働くインディオの子供達のために作った学校です。
「2009年6月3日 サン・セバスティアン農園内の学校」の続きを読む
今日から17日間の出張に出ます。成田を発ちロス経由でエル・サルバドル、グアテマラ、ジャマイカの産地を訪問し、ニューヨーク経由で帰国する予定です。
そんな慌ただしい朝に訃報が届きました。
コロンビアのカウカ県ポパヤンのコーヒー生産者イヴァン レボジェードが、心臓発作で亡くなったのです。彼と奥さんのアルマは、ベジャビスタ農園を愛し、コーヒーの品質向上を一日中考え働く、素晴らしい生産者でした。
去年4月コロンビアに行った時の話です。
首都ボゴタからクンディナマルカのニロに向かいました。標高2,500メートルのボゴタは、常春の街と言われていますが、時として厚手のジャンパーが必要なくらい寒い日もあります。そこでボゴタに住む人々は、休みになると標高の低い地域に家族で移動し休暇を楽しみます。
来月ジャマイカに行ってきます。
レゲーの神様、ボブ マレーが亡くなった翌年の1981年から1989年まで、この島に住んでいたので、僕にとっては懐かしい思い出とたくさんの友達がいる生産国です。
8月7日午前11時45分成田発JAL401便に乗って、ロンドンのヒースロー空港に着きました。これからバージン アトランティック航空のナイロビ行きに乗り、更にエアーケニアに乗り換えてキリマンジャロ空港が僕の最終目的地です。まだ旅は、半分しか来ていません。
長らくブログを休んでいました。最後に書いたのが、いつか覚えていないくらいサボっていてすみません。これからは、心を入れ替えて書きます。
今日は、お馴染のキリマンジャロコーヒーの話をしましょう。
成田を発ち、午前11時にニューヨークのジョン F. ケネディー空港に着いた。乗り継ぎ便は、ニュージャージのニューワーク空港から午後4時に出るコロンビア行きだ。
タクシーを飛ばしてマンハッタンにある、RA(Rainforest Allianceレインフォレスト・アライアンス)の本部に向かった。農業部門マネージャーのサブリナ・ビジランテとお昼を食べる約束をしてある。
14年続けて来たと言えば、元旦の行事も忘れられない。全員でニュー・イヤー・イヴ・パーティーの片付けを済ませ、ゲストハウスで2時間ほど仮眠を取り、午前4時半頃に完全防備でマウナケア山頂に向かって出発する。4,205メートルの山頂でご来光を仰ぐためだ。
夕方5時過ぎから、それぞれの作った料理やデザート、飲み物が運ばれてくる。料理も重ならないように事前の打ち合わせで、担当メニューまで決められている。
会場の設営が終わり、みんな集まって大宴会が始まる。テーブルの上に並べられた料理は、ハワイ風日本食。日本では、お目に掛かった事のない料理に最初は驚いたが、日本に帰国した僕にとっては懐かしい日本食だ。
順調に産地出張を続けてきましたが、ジャマイカに付いて2日目の7月9日に突然ノートPCが起動しなくなりました。まだ買って一カ月もたっていないのにという怒りと、中のデーターが無事かという焦りに苛まれました。エル・サルバドル、グアテマラで撮影した写真を、すべてPCに取り込みましたが、持参したハードディスクにバックアップを取らなかったことを悔やみ続けました。
その為にせっかく一念発起して毎週欠かさず書こうと思っていてブログも、先週はスキップしてしまった訳です。困ったのは、ブログが書けなかったことだけではありません。通信手段です。
スーパーに行ったらフードコーナーで面白い飲み物を見付けました。アロス・コン・ピニャと書いてあり、アイスクリームコーナーにもこのフレーバーのアイスがありました。アロスは米、コンはwith、ピニャはパイナップルですから、米入りのパイナップル?
海岸の町マハヌルに立ち寄った。町中を車でゆっくり走っていると、食堂とは趣が違う屋台があり、裏で男性が木槌で臼を突いている。よく見ると屋台のテーブルの上には、コーヒーカップが並べてある。まさかコーヒーショップ!?と思い、運転手に車を止めてもらい中に入って行った。やはり思った通りだった。臼の中は、焙煎したコーヒー豆で粉砕作業の真っ最中だった。そして別の小屋では、焙煎と抽出をしていた。
マルチリリの修道院に到着した。7月に植えたコングスタの成長具合の確認と、修道院が経営する学校の生徒にコーヒー栽培を指導するのが、今回の訪問の目的に一つだった。
職業訓練も兼ねているこの学校には、近隣の10の村から集まった15歳から24歳の33名の学生(女子16人、男子17人)が、寮に入って勉強している。全員農家の子弟だ。
成田エクスプレスで空港に向かう車内で書いています。
これからJAL717便に乗ってバンコク経由で、レユニオン島に向かいます。2年ぶりのレユニオン島。
始めてあの島を訪れたのが、1999年の8月だったから、もうかれこれ10年の付き合いになります。まさか僕の人生にこれほど関わってくるようになるとは、10年前には思いもよりませんでした。最初で最後と訪ねたレユニオン島。ただひたすらブルボンの原種と絶滅したと言われていたブルボン ポワントゥを見たいという冒険心だけで、何のあてもなく訪れたのです。
8月17日に岐阜県各務原市で講演します。
http://www.cafe-higuchi.jp/20110817/
これは、毎年恒例になりました珈琲工房ひぐちのイベントです。
毎年樋口社長夫妻が、テーマを考えて講演者との交渉から、会場の確保、
告知まで行う手作りのイベントです。
日本の中心岐阜のコーヒー文化発展の為に、ご夫妻で本当に熱心に
活動されている姿は、頭の下がる思いです。
毎年私もお声掛けいただきお話をさせていただいています。
今年は、エスプレッソの実演も加わりました。
是非中部圏のコーヒーラバーは、いらして下さい。
震災の影響で延期になっていました、第25回コーヒーサロンの開催日が決まりました。今回のテーマは、「フレーバリストから見たコーヒー」です。調香師の立場から、コーヒーのフレーバーの話を、山崎将司さんにしてもらいます。
日時 :2011年6月23日 午後6時~8時 終了後講師を交えて懇親会があります。
場所 :東京大学本郷キャンパス内 東京文化研究所3階
参加費 :無料
http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~ikemoto/CoffeeSalon.htm
メールアドレスをご登録頂きますと、今後、コーヒーハンター「ホセ川島」より、活動に関するニュースレターをお送りさせて頂きます。