失われたコーヒー、まだ誰もその価値を見出していないコーヒーを探し求めて旅してきた。
いつしか人は僕をコーヒーハンターと呼ぶようになった...

コーヒー探訪記

2008年8月15日 コロンビア

FNC(コロンビア国立コーヒー生産者連合会)のモレノ博士と国内の産地を回って首都ボゴタに戻った。モレノ博士は、フランスのモンペリエで博士号を取った化学者で、FNCの品質管理部長かつFNCグループのALMACAFE(アルマカフェ:脱穀から精選の工場)の取締役だ。

モレノ博士とカップにテイスト用のコーヒーを注ぐアシスタント

また、FNC独自のユニークなカッピング方式も彼の考案によるものだ。通常は、ガラスのカップに挽いた粉を入れて香りのチェックをし、その後お湯を注いで沈澱してからテイスティングをするが、FNC方式はカップの代わりに陶器のポットに粉を入れて香りを嗅ぎ、お湯を入れてからガラスカップに注いでテイスティングする。陶器のポットに入れと、温度を保ちやすく後から来た人もほぼ同じ条件でテイスティングできるという利点がある。

モレノ博士とは古い付き合いだ。特に厚生労働省の「新残留農薬基準ポジティブリスト」が2006年5月29日に施行される前には、その準備でお互い情報交換のために密に連絡を取り合った。コーヒーが主要輸出品のコロンビアにとって、日本は重要な取引先だから彼らも非常に慎重になっていた。

その前年から2006年前半にかけて、僕も世界の主要生産国を回って、ポジティブリストの説明と対策、そして各国の農薬使用状況の調査を行った。かなりハードな出張が続いたが、実際に畑で残留農薬の発生する可能性が非常に低いことが確認できたのは嬉しかった。

しかし実際問題、今年はエチオピアコーヒーが相次いで検査に引っかかってしまったが、これも畑よりも倉庫や運搬中に起きたコンタミネーション(汚染)が原因だと思う。

エチオピアは内戦によってエリトリアが独立したために海岸線を失い、現在では内陸国となってしまっているため、輸出入を隣国のジィブチに頼っている。アジスアベバに集荷され取引されたコーヒーが、トラックに山積みにされて延々と数百キロ離れたジィブチに運ばれて行く。一旦倉庫に入れたコーヒーを、コンテナに積み込んで行く訳だが、やはり運搬中や倉庫でのコンタミネーションのリスクは高くなる。せめてアジスアベバでコンテナに積めれば良いが、コンテナを運べるトレーラーにも限りがあるのだろう。また使用するコンテナに問題がある可能性も見逃せない。以前にどんな物を運んだのか、やはり今後は使用履歴まで確認する必要があるだろう。

ジィブチまでの道路は、物資の輸出入にとってもまた戦略的にも政治的にも非常に重要な意味合いを持つ主要道路だ。

だから大きな橋は、必ず兵隊が警備している。橋を爆破でもされたら、生命線を断たれてしまうからだ。以前地元の輸出業者から聞いた話だが、平和ボケした日本から来たコーヒー関係者が、橋と警備する兵隊をデジカメで撮影してしまったそうだ。驚いた兵士は、日本人に詰め寄ってフィルムを抜いて出せと迫ったそうだ。デジカメだからフィルムは無いと、引きつった顔で必死に身振り手振りで説明する日本人に、デジカメなんて言われても見たこともなく苛立った兵士は、ついにカメラを取り上げると川に投げてしまったそうだ。

ボゴタ市内のレストランでお昼を食べている時、モレノ博士からアツシを知っているかと尋ねられた。珈琲問屋の佐藤敦史君なら知っているよと答えたら、彼が半年の予定でコーヒー修行をしているから、生産国で勉強した先輩として励ましてやってくれと頼まれた。僕もそんな日本人がいることが嬉しくて、二つ返事で引き受けた。

行動力の人モレノ博士は、その場で彼に電話をして、その夜7時に僕の泊っているホテルに行くように話している。

博士は、その夜のフライトでブラジルに出張するから、夕食は僕とアツシだけで行き、久々に彼に日本語で話をできるようにという親心もあったのだろう。

夕方まで博士のオフィスで打ち合わせをしてホテルに戻り、モレノ博士はエスプレッソ・コーヒー国際会議出席のため空港に向かった。

その夜は、ホテルから近くのスペイン料理店に行き、ワインを飲みながら敦史君とコーヒー談議に花が咲き、時間が過ぎるのも忘れてしまった。もう一軒と引き止める敦史君に付き合いたかったが、翌朝は5時半にホテルを出て空港に向かわなくてはならず、またの機会にとっておいた。

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