失われたコーヒー、まだ誰もその価値を見出していないコーヒーを探し求めて旅してきた。
いつしか人は僕をコーヒーハンターと呼ぶようになった...

コーヒー探訪記

2008年12月31日 大晦日①

ハワイ島に住んでいた頃、毎年この日になると昼からが忙しかった。コーヒーの収穫はピークが過ぎているが、まだコーヒー樹には青い実も赤い実も残っている。しかし農園作業は、昼までに終わり、皆家に帰ってニュー・イヤー・イヴ・パーティーの準備に入る。

日本と違って、前任地のジャマイカでもそうだったが、ハワイでも盛大に祝うのはクリスマスで、正月は一日だけが休みで二日から仕事だった。

しかし日系人の多いハワイは、一日しかない正月元旦休みを、日本風に過ごす習慣があった。

1989年3月にハワイ島に転勤し、その年の大晦日は日系人の仲の良いファミリーが集まって行うニュー・イヤー・イヴ・パーティーに招待された。そのほとんどが、コーヒー生産者だ。老若男女100名近い日系3世4世が、午後6時位に集まる。場所は、毎年持ち回り。リーダー格のキムラ家に数か月前から各家代表者が集まり、持ち寄る食べ物や飲み物の分担と余興を協議する。キムラ家は、古くから万屋を商う傍らコーヒーチェリーの集荷・水洗乾燥の仲買人をしていた関係か、地元の人々からは頼れる存在だった。

数年間、このパーティーに招待されていたが、やはりスペースの制限がある。来る物は拒まずのアロハ スピリッツの人達だから、いつの間にか人数は増えている。そこで会社のゲストハウスを使うことを提案した。農園内には、カウルア湾を見下ろす素晴らしい眺めのパーティーには打って付けの大きなリビング・ダイニングルームがあるゲストハウスが完成していた。それに駐車場も十分ある。そして14年の駐在が終わり、日本に帰国するまで毎年ここが、ニュー・イヤー・イヴ・パーティーの会場となった。

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