失われたコーヒー、まだ誰もその価値を見出していないコーヒーを探し求めて旅してきた。
いつしか人は僕をコーヒーハンターと呼ぶようになった...

コーヒー探訪記

2009年4月末 スターバックス

4月の末に、スターバックス コーヒー ジャパンの第8回アンバサダーカップのゲストスピーカーとして招待を受けた。国内11ブロックで勝ち上がった代表バリスタが、東京に集結し決勝戦を行う社内バリスタチャンピオンシップで、各地からの応援団も含め会場の日本青年館は、700人以上の熱気であふれていた。

昨年末初対面のコーヒースペシャリスト江嵜譲二氏から、突然ゲストスピーカーとして講演して欲しいと依頼を受けた時は少し戸惑った。最初は、担がれているのはないかと思ったほどだ。日本の大手コーヒー会社が、大事な社内イベントで同業他社の人間に講演を頼んだりすることは、絶対あり得ないからだ。

しかし実際に当日の詳細が送られて来て、江嵜氏と打ち合わせをしているうちに、日本のコーヒー業界とは異質の人達だと感じた。またそれは、海外で出会ったスターバックスの人々とも違っていた。いや思い起こせば、創成期に訪ねたシアトルのスターバックス本社の、底抜けに明るい元気の良い社員達には通じるものがあった。

僕が、始めてスターバックスを知ったのは、1992年のSCAA(アメリカ スペシャルティー コーヒー協会)のシアトルで行われた第3回年次総会に出席した時だった。今では、SCAAの年次総会も有名になり日本からもコーヒー関係者が参加するようになったが、当時はほとんど日本人を見ることがなかった。

スターバックスもまだシアトルを中心に、アメリカ西海岸の北部だけを商圏とする地元のコーヒー会社だった。巨大なコーヒー会社に成長した現在では多分そんなことはしてくれないだろうが、当時はのんびりしたもので、年次総会期間中にスターバックス社主催のフィールドトリップが催され、本社と工場の隅々まで見学させてくれた。

当時のアメリカのスペシャルティーコーヒーは、現在とまったく異質の物で、驚くなかれフレーバーコーヒーがメインだった。そんな訳で頭からアメリカのコーヒーを馬鹿にしていた僕は、不勉強でシアトルを中心に躍進していたスターバックスの存在を知らなかった。

バスで本社に到着するとスタッフが出迎えてくれたが、何とも元気の良い社員達で、また何ときれいな工場だという印象を受けた。そしてよく同業他社の人間に、ここまでオープンに会社を見せるものだと感心した。
その17年後にスターバックスがこれほど大きな会社になり、日本のスターバックスで僕が講演者として迎えられるようになるとは、その時は思いもしなかった。

講演では、アメリカのスペシャルティーコーヒーの移り変わりや、日本とアメリカのコーヒー業界の違い、C.A.F.E. プラクティスに代表されるサステイナブルな取り組み等を30分に渡って話した。

講演の前に、前年のアンバサダーカップ優勝者の白沢ゆり子さんを紹介されたが、九州のお店のアルバイトスタッフで、それも家庭の主婦と聞いて本当に驚いた。僕の講演の後に、彼女のコーヒーアンバサダーとしての最後のお勤めとして登壇した。何の衒いもなく淡々とアンバサダーして一年を振り返り、コーヒーを通して経験したこと、そして自分のコーヒーに対する思い入れ聞かせてくれた。途中で感極まってしまったが、持ち直し最後まで立派に話し通した。コーヒーへの情熱が感じられ、僕の琴線に触れる素晴らしいスピーチだった。

その後に繰り広げられた2009年度のバリスタチャンピオンシップを、じっくり観戦したかったが、生憎スケジュールがつまっていて退席しなければならなかったのは残念だった。
 

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