
朝コンコン亭を、四輪駆動車で出発しマハヌルの町に向かう。バドマンドリーからマハヌルまでの行程に、以前は橋の架かっていない大きな川がいくつかあり渡河するのに大変だった。
まるで映画の世界だと思われるだろうが、ランドクルーザーを川岸の筏にバランスを取りながら慎重に載せて、両岸の巨木に縛り付けた太いロープを、僕達が力を合わせて引っ張るのだが、川の流れもあり筏の上を水が流れて行くから、当然僕達は裸足でつるつる滑る。
その上小さい筏に大きなランドクルーザーを載せているから、狭いスペースに足を踏ん張り、片手で車をどこかを掴みながらロープを必死に手繰り寄せる。そんなことを繰り返しながら、ようやく目的地にたどりついたものだった。
しかし今では立派な橋が架かり、あっと言う間に川を渡ってしまう。便利になったものだが、あの時の緊張感は忘れ難く、新たな発見をした時の達成感の高さに繋がっている。
マハヌルの町で給油をする予定だったが、唯一のガソリンスタンドが閉まっていた。この国でも原油の高騰は、深刻な問題になっていた。石油の無い上に外貨の乏しいマダガスカルでは、石油の高騰によって地方までガソリンの供給が行き渡らない。ガソリン代も日本の倍もしていた。
ここから修道院まで行き、バドマンドリーに引き返す位の燃料はあったので、そのまま修道院に向かった。
マハヌルからは、凄いぬかるみが続く未舗装の道路だ。雨上がりのようで、至る所に大きな水溜りがある。
通常なら45分の道程だったが、ちょうど半分位まで来たツァンガムバト村で問題が起きた。村の出口のゲートが下ろされているのだ。少年が、ゲート小屋にいて、ここから先は通れないと言う。何故かと尋ねたら、今朝大雨が降ったので、この地域の規則で雨がやんでから6時間は道路の保護のために通行禁止だと言う。その6時間経つのに後何時間あるのかと聞くと、少年は役所から指示があるまでだと応える。修道院でコーヒーの栽培プロジェクトを始めるために、日本から来たのだけど開けてくれないかと頼んでも、この少年には一切の権限はない。彼は、済まなそうな顔していきなりサッカーボールを蹴り始めた。
聞けばこの村は、20年以上に渡って独裁政権を続けたラチラカ大統領の両親の出身地だという。ゲートがいつ上がるか分からないので、両親の墓があると聞いて見に行った。普通のマダガスカル人の墓よりは大きいが、驚くほどシンプルで素っ気ない墓が二つ建っていた。この国では、男女は同じ墓に入らないらしい。

ついでに村を散策してみた。大人達は、たむろして大笑いしながら話し込んでいる近くで、10歳前後の二人の少女が、臼に入れた米を、かわるがわる棍棒でついて脱穀している。横には、自家用と思われるコーヒーが干してあった。

家々の庭先には、パンの木とジャックフルーツの木があり、これも食用なのだろう。



こんな田舎でも携帯電話が入るようで、僕が村を散策している間に、同行したマダガスカル人スタッフが、修道院に電話で助けを求め、院長がマハヌルの役所に特別許可を出すように依頼してくれた。
突然サッカーのボールを蹴るのを止めて、少年が走ってゲート小屋に向かうのが見えた。そこにピックアップトラックが砂煙を上げて到着し、降りてきたジーンズ姿の男が何か話すと、少年はゲートの端に掛かっていた南京錠を外した。僕は、ランドクルーザーに飛び乗り、ゲートを通過することができた。
世界中で検問にあった。ほとんどが金をせびる兵隊や警官だったが、中にはコレラ患者の摘発もあったし、麻薬密売人捜査の検問は東南アジアでは特に多かった。しかし雨で止められたのは初めての経験だった。確かに雨上がりの道路を走るとわだちができて、そこに水がたまり道路を悪化させる。これも費用をかけないで道路を維持させる苦肉の策だろう。
この村を通過するのに1時間かかってしまった。しかしこれも仕方がない。
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